関西国際空港の建設地が大阪南部の泉州沖と決定したことにより、1978年頃から対岸地域(大阪府泉佐野市)の埋め立ての必要性についての検討が始まりました。実際に埋め立て工事が始まったのは1988年のことで、その場所は「りんくうタウン」という愛称で呼ばれることになり、JR、南海電鉄の駅の設置も決定しました。自動車道も整備され、阪神高速湾岸線、阪和自動車道関西国際空港線が建設されました。
一方で、関西国際空港開港を見据え、対岸であるりんくうタウンに高度救急が可能なセンターの設置が急がれました。泉州地域には市立病院は複数あるものの、重症外傷や脳血管障害などの急性疾患に対する外科的処置や集中治療を恒常的に提供できる救急医療機関が存在しませんでした。当センターは航空機事故などの空港での突発的な事象や災害への備えと、泉州地域の救急医療の要の役割を担うために、大阪府の救急医療体制整備事業の一環として、他の医療機関に属さない独立型の三次救急医療施設として、1994年の空港開港と時を同じくして開設されました。
当センターは、当初はICU 8床を含む30床でスタートしました。手術室は2室あり、初療室も重症救急患者を同時に2名受け入れられるように整備されています。人的要員は、医師は常勤・非常勤合わせて22名で、パラメディカルを含めた総職員数は100名におよび、恵まれた環境で高度な救急医療を提供してきました。
泉州救命救急センターでは、救急隊の直送患者のみならず、地域の医療機関で重篤化した患者さんの転院も受け入れており、救急医療の「最後の砦」として、また地域の集中治療室として、その存在を確かなものにしています。
更なる救急診療体制の充実を目指して、平成25年4月に、隣接する地方独立行政法人りんくう総合医療センターと統合しました。平成23年度には改修工事を行い、重症管理病床を8床から18床に増床しました。平成24年4月から新装救命センターの運営を開始するとともに、重症専門救急患者に対する確実な診療提供を目指して、りんくう総合医療センターの各専門診療科との協働体制の運用を開始しました。その結果、受け入れ患者数は従来の平均70人/月から120人/月に急増しております。